くまがやうちわまつり(くまがやししていむけいみんぞくぶんかざい「くまがややさかじんじゃさいれいぎょうじ」)
熊谷うちわ祭 (熊谷市指定無形民俗文化財「熊谷八坂神社祭礼行事」)
- 埼玉県
- 7月
熊谷うちわ祭は、熊谷八坂神社の祭礼行事である。江戸時代中期の寛延3年(1750)に町民が町役人に請願し、各自社ごとに行われていた祭を町内全体で同日開催とすることが許可され、現在の祭りの形態となる。天保元年(1830)に、愛宕神社と町役人石川兵衛門が発起し、町民から浄財を募り、重さ200貫(975㎏)の神輿を造ったが戦災で消失、新たなものが造られた。現在も御仮屋に高さ14mほどの祇園柱を立て、正面には宿役人「草分け六人衆」の名を記した提灯6個が掲げられる。
明治後期に入り、各町区の祭囃子とともに山車・屋台の巡業が併せて行われるようになった。山車は、明治24年(1891)に第弐本町区が江戸神田から購入し、祭りに登場したのが始まりである。祭りのお囃子は、巡業が始まった当初は深谷市域周辺の住民に依頼していたが、昭和30年代から地元住民が行うようになった。現在は12町区の山車・屋台を中心とした祭りとなっている。
江戸時代天保年間(1830~1844)の頃、赤色が疫病を除けるという縁起から、各店で祭りの客に赤飯がふるまわれていた。明治に入り、横町の料亭泉州楼が、赤飯の代わりに名入りの「渋うちわ」を配ったことが発端となり、各店でも屋号などを記したうちわを配るようになったため、「熊谷うちわ祭」と呼ばれるようになったといわれる。現在、熊谷うちわ祭は「関東一の祇園」と称されるようになった。
7月20日午前6時から行われる渡御祭は、発興祭・途上奉幣祭・着興祭の三つの神事で構成される。愛宕八坂神社(本宮)から旧市街地八ヶ町を通り、途中の東西南北四ヶ所で地域を浄め、お祭り広場に設置された御仮屋(行宮)まで神輿が渡御する。各町の若頭が白丁をまとい御仮屋に向けて巡幸し、途中各町の山車・屋台が迎え太鼓で神輿を出迎える。各町区の山車・屋台の前では纏が振られ、年番町を先頭に、星川通りから駅前通りを巡行する。午後6時30分からJR熊谷駅北口にて、全町が横一列に整列し「初叩き合い」が行われる。
7月21日に山車・屋台が国道17号線を東に巡行し、12ヶ町で御宮参りのため御仮屋へ向かう。その後、市役所入り口交差点にて12基の山車・屋台が扇形に並び巡行祭が終了する。
7月22日午前9時から午前11時まで、御仮屋で行宮祭が行われる。宮司、関係役員が集まり、神官の浄衣をまとった大総代が御霊の移された神輿を前に、自ら祝詞を奏上、玉串を奉奠し、神の加護を祈願する。午後8時30分からお祭り広場で年番送りが行われる。年番町、迎え年番町がステージに上がり、前年大総代による口上の後「年番札」が送り渡される。午後11時30分から、発輿祭と着輿祭の二つの神事で構成される還御祭が行われる。御仮屋で発輿祭を執り行い、熊谷祇園会によって神輿が本宮まで還御した後、本宮にて着輿祭が執り行われ、三日間に及ぶ祭のすべての祭礼行事が終了する。