ほうじょうねんぶつおどり
北条念仏踊
- 香川県
- 未定


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北条念仏踊は、香川県坂出市東部に伝えられてきた念仏踊です。
江戸時代、阿野郡北の踊り組として、阿野郡南(現・滝宮の念仏踊)、鵜足郡(現・坂本念仏踊)、那珂郡(七箇念仏踊、明治初期に衰退)、多度郡(現・南鴨念仏踊)の各踊り組とともに三年に一巡の輪番で、滝宮神社(綾川町)に踊りを奉納していました。
その由来は、仁和4年(888)、讃岐国を襲った大干ばつに際し、当時の国司菅原道真が、城山神社に七日七晩にわたって雨乞いを行ったところ、三日三晩降雨が続き、農民たちが大喜びして感謝の踊りを踊ったといいます。道真の没後、供養のために踊られていた踊りを、讃岐国に流された法然上人が、念仏踊の形に整えたと伝えられています。
実際に、菅原道真による漢詩集『菅家文草』には、雨が降らず城山の神に雨を願ったことが記されています。
北条念仏踊の踊りの流れは、氏部村の幟と鴨村の花笠が先行して、一行を引き連れて踊りの場に入ります。まずは大打者(おおうちもん)が声をあげながら入場し、芸をします。この大打者は、かつて那珂郡の七箇念仏踊と争いになった際に北条組の子供を切り捨てた事件があり、それ以来帯刀を許可されたと伝えられています。続いて清めのために長刀を振り、念仏踊が始まります。大団扇を持った下知(げんじ)を中心に、鉦打や太鼓打が周囲の唱える念仏に合わせて踊り、さらに後踊(あとおどり)は、下知の動きを面白おかしく真似て踊ります。
大打者と後踊は、県内の念仏踊組にはない役であり、北条念仏踊の特徴となっています。
北条念仏踊は、かつて踊りの中心であった松浦氏の逝去により、平成6年の雨乞い奉納を最後に、活動を中断しています。しかし、令和5年度より、坂出市大屋冨町を中心に、坂出市教育委員会、香川県教育委員会と協力して、復活に向けて協議をしています。
参考文献
瀬戸内海歴史民俗資料館編 1998『香川県の民俗芸能ー平成八・九年度 香川県民俗芸能緊急調査報告書ー』
水沼智美 2009「北条念仏踊の追跡調査ー途絶えた民俗事例を見直す」『四国民俗』42号 四国民俗学会
復活に向けた現在の課題は、道具・衣装が高価であることや、知名度の低さ、踊り手の確保にあります。
道具は、文化庁地域文化財総合活用推進事業を活用し、新調を行っているほか、県や市からも補助金を受けながら、衣装の新調を行っていく予定です。
また、坂出市と協力し、北条念仏踊の歴史に関する講演会を開催するなど、知名度の向上に向けて取り組んでおります。
踊り手については、地元の獅子組と協力しながら、人数の確保を行っています。
奉納は令和7年春に行われる大屋冨町内の厳島神社千二百年記念祭での奉納を目指しています。少ない人数から始めて、往年の大人数での奉納を目指しています。