みかわのおかえりまつり
美川のおかえり祭り
- 石川県
- 5月
「おかえり祭り」は、文化文政年間(1804~1830年)に現在の形態となりました。
一日目を神幸祭と呼び、青年団達に担がれた八面四扉の神輿が、豪華絢爛な13台の台車に先導され、早朝裏鬼門にあたる藤塚神社本社をお発ちになります。旗手の合図にラッパを吹き鳴らし氏子宅を厄祓いして巡り、夜半に表鬼門にあたる高浜御旅所にお着きになります。
二日目を還幸祭と呼び、夜の帳が降りる頃、台車に先導された神輿は、おかえり筋の男衆に担がれ高浜御旅所をお発ちになり、夜半に本社にお着きになります。神輿がお還りに通る町筋は10町のうち1町のみをお通りになり、その年の『おかえり筋』と呼ばれ、おかえり祭りの名前の由来となっています。
神輿を担ぐ青年団達は紋付袴に白襷姿で、台車を曳く氏子も紋付袴の正装で参加する祭りは全国的にも珍しく、安政4年(1857年)京都仁和寺『御室御所』より、菊花紋章入り神輿の日覆を下賜されたことに、敬意を表したものと言われています。また、昭和初期から始まった神輿を先導する旗手、ラッパ吹奏も他に類がなく、廻船業「北前船」で財を築いた豪商達の寄進で製作された、13台の台車が連なる様子は圧巻である。