なかつぎおん
中津祇園
- 大分県
- 7月



大分県三大祇園祭の一つである大分県指定無形民俗文化財「中津祇園」は、10万石の城下町中津を代表する祭で、約600年の歴史を有し、毎年7月下旬に城下町中津の疫病退散を目的として行われています。
闇無濱神社(くらなしはまじんじゃ)摂社の八坂神社を中心として行われる「下祇園(しもぎおん)」と 中津神社を中心として行われる「上祇園(かみぎおん)」の二つの祇園祭が同日開催され、合わせて「中津祇園」と称されています。
下祇園上祇園合わせて、「祇園車」(ぎおんぐるま)と呼ばれる漆塗りの華麗な13台の曳車と、2基の御神輿が中津の城下町を御神幸・御巡行し、高〆が張られた辻々では祇園車の舞台で華麗な民舞等が奉納されます。
「チキチンコンコン」の囃子とともに、芸能奉納のための舞台付き曳車を大人数で曳き回す形態は、江戸時代の大坂三郷地域で多数見られた地車(だんじり)に多くの共通点が見られることから、「祇園車」は江戸時代に経済的な交流のあった関西圏域から瀬戸内海を通じて伝播してきたとする説が有力となっています。
【「走る文化財」九州豊前国に残る江戸期の芸能指向のだんじり】
・舞台の上で芸能を披露する
・大人数で曳き回す
かつて、この2つの特性を持った「だんじり」が江戸期の大坂三郷で多数見られたといいます。しかし、このような「だんじり」は、いつしか近畿圏の祭から徐々に姿を消し、曳行と彫物に特化した「だんじり」へと変化していきました。
一方で、御神輿と作り物の車が中心だった中津祇園では、1683年、栄華を好む中津藩主が大坂に祇園車を注文して、中津城下の代表であった豊後町に与え、後に各町が舞台付きの踊車を出すようになりました。
それが現在の中津祇園の基礎となったほか、豊前地域一帯の曳車の出る各祭にも影響を及ぼしました。
操船の合図で勇ましく巡行する中津祇園の祇園車は、江戸期の大坂型地車(だんじり)を今に伝える貴重な曳車です。